100分で名著「ディスタンクシオン」

フランスの社会学者ピエール・ブルデュー氏の最も有名な著書、「ディスタンクシオン」を平易に書き換えてくれたもの。ディスタンクシオンとは卓越化という意味を表しています。

趣味や専攻、好みなどは出会うことによって決まっていくと考えられているが、事実上はほとんど習慣や教育によって決まっていると言っても過言ではない、という趣旨のもの。


たとえば絵画を観た時に、「そこに何が描かれているか」を理解することは誰でもできる。リンゴの絵ならリンゴが描かれているし、肖像画ならヒトが描かれているとすぐにわかる。

だがどのような技法で、どのようなジャンルで、何に対して描かれているか、といったような「どう描かれているか」は、教育を受けて知識を持っていないと理解できない。リンゴが描かれていることが誰にでもわかったとしても、キュビズムを油彩を用いてこのような色遣いで描いているという事は、~に対するアンチテーゼだ、というようなメッセージを理解するには知識が必要なのである。これはすなわち、絵画の史的な価値を理解できるのは絵画についての知識を持っている人間のみだということになる。だれもがピカソの絵画を気に入るわけではない。あなたは知識があるからこそピカソの絵に惹かれたのだ。 

あなたがなにかの物事に興味をもったとき、それは運命的な出会いや直感ではなく、あなたがその物事の良さに気付くために必要な知識を持っていたから興味をもったのである。

つまり、あなたの好みはこれまでの習慣などによってある程度はすでに決まっていると言える。ブルデューは行為・感覚・判断・評価・好き嫌いなども習慣、ひいては社会構造や歴史により構築されていると説いています。


また、ここではザックリとした説明しかしませんが、ブルデューは、好き嫌いの判断自体が自分の好み(これまでの習慣、ここではハビトゥスと呼んでいます)の優位性の押し付けをやっていると説きます。

例えば、バッハを好むひとはチャイコフスキーを嫌う傾向が強いです。バッハもチャイコフスキーも好む人は、最近のポップスを聴かないでしょう。何かを好むという事は、なにかを好まないということがセットになっているのです。

趣味、すなわち顕在化した選好は、避けることのできないひとつの差異の実際上の肯定であるとブルデューは捉えています。そして趣味とは、その人の生きてきた歴史そのものを反映しています。

わたしたちは趣味という好みを通じて、実存の象徴闘争をおこなっているのです。


とまあ、難しい話をかなりわかりやすく、簡潔すぎるほど簡潔にまとめてくださっています。雑誌よりも薄く文字がかなり少ないので、とっつきやすいかと思います。ぜひ。

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蔵書を軽く紹介しています。

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