本を読みたくなったら
蔵書を軽く紹介しています。
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ヒトの消化管に住んでいる100兆もの細菌が人体にどのような影響を及ぼしているかを追った作品。
ヒトの消化管、特に大腸には人体を構成する細胞よりも多い数の細菌が棲んでいる。それらのほとんどは生後数年のうちに母体や食物、周囲の環境などから侵入し定着したものである。それらの腸内細菌叢はヒトが消化することのできないものを消化してビタミン類を合成するなどヒトにメリットをもたらすものや、下痢を引き起こすなどデメリットをもたらすものまで様々である。そして良い菌も腸内環境が変われば人体に悪影響を及ぼすこともあり、またその逆も容易にありうる。
しかしそもそも免疫に駆除されることなく体内に細菌が存在できていることは不思議である(実際には微生物と共生していない大きな生物はいないので不思議ではないのだが)。細菌たちはヒトの免疫細胞を騙したりしてどうにか存在している。しかし人体の方も細菌がもたらすメリットを利用しており、出産直前に腸内の細菌を免疫細胞が膣や乳腺まで移動させるなどの行為をしている。
とにかく微生物だらけのこの世界で微生物を完全に避ける生活環を得ることが不可能な以上、大きな生物はもはやそれを上手にハンドルするしか方法はない。そのようにしてあらゆる生命は進化してきたのである。しかし現代社会は公衆衛生の発達により多様な微生物に曝露される機会が減ったり、抗生物質により腸内細菌が一掃されてバランスが崩れたり、微生物のエサとなる我々の食物の偏りが大きくなるなど、これまでの人類の進化史にない状況に直面している。そのことによる弊害が「自閉症・アレルギー・肥満・過敏性腸炎・花粉症・ニキビ・1型糖尿病」などほとんどの自己免疫疾患につながっているというのである。
実際、生命の進化は腸の形成から始まり、その他の構造は「腸にいかに栄養を送り、利用できるか」を基準に発達している。脳よりも優先度の高い臓器であり、実際脳よりも腸の方が高度に進化している生物がほとんどである。そういう意味で「腸が大事」というのはかなり信ぴょう性のある話である。
アメリカの精神医学者が書いた、運動がもたらす人体への効果を綴ったもの。
アメリカ発の本にありがちな、「ひとつの事柄を主張するために根拠を延々と提示し続けるスタイル」を地で行っている作品。
一言で言えば運動、特に有酸素運動は脳やそれから派生するメンタル面や認知機能面においてかなり大きな影響を及ぼすということと、循環器系にとっても良い影響がかなり多いため、大体の健康や精神問題は運動によって改善できる余地がかなり大きいというものである。
ヒトが生物としてもつ大きな特徴は脳の機能性と、もう一つは持久力である。これは人類が原始生活において、かなりの時間を運動しながら過ごしてきたことを意味する。ということは当然、人体もそれに合わせて作られているはずである。
こういうところから考えるとあながち突飛なことを言っているわけではない。本書に書いてあることを全て鵜呑みにするのは間違いだと思うが、根本的な話の方向性は間違っていないと思われる。
運動の重要性を感じてはいるけどなかなか実行に移せない人にはかなり良い本かもしれない。モチベートされる。
社会学という、人が構成する集団ほとんど全てを定義として包摂する「社会」に目を向けた学問領域。その中でも人が生まれてから死んでゆくまでに深く関わる社会について幅広い視点から見つめ直す一冊。
具体的には出生・家族・親子・学校・成長・攻撃性・性愛・労働・老い・死について改めて俯瞰して見つめ直していく。
普段から当たり前とされていることが、歴史や構造的な視点から俯瞰してみると、それが当たり前なのではなく様々な理由によって規定されたものであることや、文脈的なつながりの途上にあることが分かってくる。それがわかるという視点が大事であって、本書はひとつの社会やテーマに対して多角的な視点で概説をしてくれるものである。
筆者の強い私見や推論が少なく、できるだけありのままの知識をありのままの形で伝えようとしてくれており、またテーマごとに知識を深めるためのクリティカルな問いと関連良書まで教えてくれる、素晴らしい姿勢をもった本である。
平易な言葉で書かれているので読者の年齢を選ばない良書。
静電気という現象について、抽象的ではなく具体的な事例とともに解説してくれる一冊。
どちらかというと工場やオフィスなどの現場の人向け。
静電気という現象は原理的に説明しようとすると数式や構造的な知識が必要になってくるので、それらを抜きにして説明しようとしている。
しかし具体的事象として静電気の発生について考えると、環境雰囲気、絶縁度、電圧、形状などあまりにも多くの要因が関わってくるため、超個別的事例について触れて回るしかなくなる。その事例をできるだけ整理して紹介する、というのがこの本のざっくりとした紹介になる。
書かれたのが2011年ということもあり、当時まだ静電気を気にして接触しなければ破壊されてしまう電気素子があったことが窺い知れる。理系学生が静電気現象について抽象的に理解するには向いていないが、多くの個別具体事例を見識とともに解説してくれるので、ある種ニッチな需要のある本と言える。
内田樹氏の軽快な一冊。
広く市民に浸透した思考様式を支える哲学の変遷を概要してくれている。
まずはサルトル、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ソシュールを扱い、その後構造主義四銃士としてフーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンを概説する。
純粋に哲学史を追いつつも、言語とヒトの認識論との関わりや、コミュニケーションと実存との関わりなどについて触れて回る。
正直なところ、内田氏もバッチリと目的地を決めて書いているわけではなく、なんとなく書いていたら最後にこんなふうにまとめようかなと思いついて着地した、というような書き味感が否めない(笑)。
しかしそれでこそ味わえる情報の雑誌感や筆者の感覚に接地する文体が楽しめるため、ある種の楽しさがある。
しっかりと理解するには概説が過ぎるが、ざっくりと哲学史の骨組み感を理解するには非常に敷居の低い一冊である。
慶應大学言語研究者で有名な今井むつみ氏の力のこもった質の高い一冊。
本書は多くの言語学者がこぞって登ろうとする「言語の本質とは何か」という問いに対して、「オノマトペ」という言語分野を端に登頂を目指すものである。
キーワードはオノマトペ、記号接地問題、アブダクション推論など。
音声がある程度共通したイメージをヒト全般もたらす音象徴という要素をもつオノマトペが言語が感覚に接地する橋渡しの役割を担う。
しかし言語は似た概念を異なる言葉で表す時、ある程度言葉の要素同士に距離がないと混同しやすくなり認知負荷が高くなるという構造も持っている。つまり似た要素を表す言葉同士は、全然違う言葉である方がわかりやすいのだ。(カラスとハトの名前がそれぞれ「カー」と「ホー」だと覚えにくい)
この二つの問題を間を埋めるものは何か。それを考えていくうちにヒトとその他の動物が持つ知性の違いに論が移り、結果として言語がどのようにして今の言語体系に成っているかにつながり、気がつけば現象を音として切り出すオノマトペから現在の言語体系までが大筋の道のりとして浮かび上がってくる、そんな作品である。
言葉遣いや論の展開が易しく書かれているため、とても読みやすい(今井先生の本はいつもそう)。また、書中に多くのアイデアが現れるので、言語以外の分野に関してもとても良い刺激になる。
バリューブックスなどで安価に手に入るので、ぜひ手に取ってみては。