学びの構造

佐伯胖氏著、昭和50年(1975年)初版の学術本。彼の著作としては最初期に当たる一冊。


本書は「学び」という非常に広いテーマについて、さまざまな角度から定義を試みたものである。定義の話や、定義を定めるまでの理論的な経緯を話す部分が多いため、読む人が読めばさまざまなエッセンスを持ち出せる書き方になっている。


この「学び」という分野に関しては様々な研究が多様な角度から世界中で行われているが、年々新たな発見がありつつも簡潔な回答がなかなか得られない複雑なテーマである。というのも話が脳科学、社会科学、心理学、発達心理学など、分野が多岐にわたっていかざるを得ないからである。得てしてそういった分野は事実を細分化して定義を試みる手法をとると、木を見て森を見ていないと言うような事態に陥りがちであるため、器質・心理学的な要因を突き詰めるのではなく、実際に起きている現象の部分に着目して、分野横断的にできるかぎり矛盾の無いよう、帰納的なやり方で定義を狭めていくのが良いと考えられる。本書はその境界線のぎりぎりを攻め、できる限り厳密な定義を求めつつ、ある程度現実を捉えたものを探ろうとするものである。


上から目線ではあるが、1975年に書かれたものとは思えない先見性があり、この記事を書いている2024年以降の予見についても描写があるため、今読んでみても楽しい。

様々な角度から学びとは何かについて迫っているものの、辿り着きかけるところは一貫しているように感じる。個人的に要約すると「学びとは現在だけでなく未来、過去を振り返りながら全体が常に更新される、一種の動的平衡状態である(過去の経験の認識が未来の経験によって変わりうる)」「知識同士の関係性によってできる構造体それ自体が変化していくこと(創発特性自体の変化)を学びと呼ぶ」というところである。


個人的な持論として学習の段階説は

①単語を覚える

②単語同士の関係性が分かる

③単語に関する理解が深まる

この3つを順に繰り返していくことで学習というものは進んでいくと考えている。

(ちなみに④は①〜③を繰り返すことによって学習したものが好きになる。⑤は④が進むことによって人に教えたくなる、と考える)


また知性の定義の持論は

「ある前提に対する仮定の結論までに、どれだけ多くの知識(点)を繋げて理論的な線を結ぶことができるか」である。

・どれだけ多くの点を打てるか(記憶力)

・どれだけ希少な点を打てるか(理解力)

・点同士を論理的に結べるか(数学力)

の3点が重要であると考える。点を多く打つことができ、点同士を結ぶ力に長けていれば、欲しい形を描きやすくなる(予測ができやすくなる)。


この2つの持論と本書の理論に矛盾は見当たらなかった。


個人的に面白いと感じたのが

「教育とは僅かな確率にできる限り賭けてみようとする意図的な試みであり、科学とは仕組みを解明することで結果を確率ではなく予測可能にする試みである。そのため教育を科学することはそもそも矛盾を孕んでいる」というところである。


ここにどこまで踏み込むかは各教員次第であり、そこに個性が顕れているのだろう。

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