学力から意味へ

社会科の、義務教育における名のある実践家たちの実践の、その後を追った評論。
評論と言っても、カッチリと結論を狭く打ち出すわけではなく、幅広く調査結果を述べてくれているオープンマインドな一冊である。

かつては、教育において「実践」という風土が根強く残っていたことを思い出させられる。それは教師のこだわりとして、または受験戦争における不評として、またはカリキュラムの精製過程の澱として姿を消していったのだろうか。

教員が日々行う教育活動の評価基準はなにか。また評価時期はいつか。これは変数の多い複雑な問いである。本書は、様々な実践家の実践を実際に体験した生徒たちに、数十年越しにインタビューを試みたもの。今や社会の中核を担う年齢になった元生徒たちが語る当時の回想は、教師の意図とは異なる形で受け止められていたというものがほとんどのようだ。しかし、実践家たちの熱意だけはほとんどの生徒に伝わっているように思う。

この本を読んで、黄石公と張良の逸話を思い出さずにはいられない。

黄石公に兵法の奥義を授かりに来た張良は、何日経っても奥義を教えてもらえず、黄石公がわざと落とす沓を拾わされるだけである。張良は、黄石公ほどの人物がわざわざ自分にこんなことをさせるには、何か意味があるはずだ、と考えた。そして張良は、兵法の奥義をひとりでに悟り、黄石公に礼を言って去った。

有名な話で、「生徒は自分の中で分かっていることを再発見する」と解釈されることもある。いずれにしても「尊敬と信頼」「謙虚と忠実」がキーワードとなる。著書に登場する四人の実践家たちも、その溢れんばかりの熱量から、生徒から一定の尊敬と信頼を集めていたのだろう。

インタビューを受けた生徒の中には、実践の教材内容自体を真に受けとめ、人生の糧とする者は多くはなかったかもしれないが、それをきっかけに多くのことを考えるようになったり、視野が広がったり、実際にその分野に強い関心を持つようになる者もいた。

教員が与えられるものとはなにか。教科が担っている社会的責任とはなにかを考えさせられる一冊である。

本を読みたくなったら

蔵書を軽く紹介しています。

0コメント

  • 1000 / 1000