なぜ働いていると本が読めなくなるのか

作家・書評家の三宅香帆氏著、内容はタイトルが分かりやすく明示してくれている。

結論から言うと、「資本主義社会は生活に関わるあらゆる側面が、我々に全身でコミットすることを求めてくるように構造的にできており、そういった生活に浴した状態にいると、複雑な(情報という形としてノイズが除去されていない)文脈や歴史、知識を受け入れる余裕が生活から無くなりやすい傾向にあるため、読書という範囲の不明瞭な知識が大量に流入してくる活動はまずもって敬遠されやすくなる。」という論旨である。

本書では「他者の歴史や文脈など、時間、量、ジャンル的な側面からみて複雑さを持った総合的な知識」と「正確性と有用性が時間的に限定される可能性があるほどに即時性を持った、ある問いに対してそれ以外の答えとしての用途を持たない情報」を対立するものとして挙げ、この対立する2つの概念が歴史的にどう社会で扱われてきたのかを戦前から順を追って紐解いていく。
(人によってはその論程を冗長と感じる人もいるかもしれない。しかし読書史の要約として非常に楽しみやすいものになっている。)

参考文献や引用が多く、例えば中途で「啓発書とはコントローラブルなものにのみ目を向けさせる事に読者を誘導しようとする書籍であり、アンコントローラブルなものは生活にマイナスに作用するノイズとして極力意識の外に出そうとする。そして出自、学歴、環境など現在の位置に関係なく有効に作用するフラット性が、インターネットなどで情報やポジションなどの側面において個々人のフラット性が担保される面に近似している。」と指摘する。タイトルからは想像されづらい分野における主張が幅広く枝葉末節に点在し、その程度のわきまえ具合が、著者の読書の楽しみ方に対する理解や、論拠をどこまで担保するべきか、という倫理観として感じることができて心地良い。カッコつけのない展開である。

主旨からは遠ざかりすぎることはないが、寄り道を楽しめること自体が読書の良い面であると著者は述べる。

このタイトルに惹かれる人ほど「明確で分かりやすく即納得できるような結論」を期待するかもしれないが、そういう人ほどゆったりと最終章まで辿り着くべきである。

なお、労働観に関する記述は別分野の人間の仕事であるため、あくまで著者の私見として受け止めるべきである。

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